手荒な歓迎

   風祭 遊(西京建一)



その「事件」は、NHKの昼のニュースで、全国に報道された。

70人ばかりの男の集団が、月山、山麗の林道を黙々と歩いていた。
男たちは羽黒修験道の山伏である。
私もその中にいた。
山中は、8月の下旬であるが爽やかである。
ブナやナラの樹々からのこもれ陽。
露を吸った夏草の香ぐわしい匂い。
朝の林道はすがすがしい。
羽黒修験の8月の行は"秋の峰入り"「峰中」(ブチュウ)といって、毎年8月の20日過ぎから、月末まで行われる。
ベテランの山伏を先達といい、われわれ素人は、「新客衆」と呼ばれる。
新客衆は、30人ばかりで、職業は様々で全国各地から来ている。
サラリーマン、僧侶、フリーター、ライター、写真家、 植木屋、石屋、農家、商店主、針灸師、占い師、学生、土建屋さん等々である。
今日の行は、片道4時間ばかりの山駈けである。
ハイライトは、「馬の背」という、狭い山頂に立つ。
 


山伏がパニックになる「事件」は、間もなく起る。

羽黒修験の8月の行は、大半が山中の篭り堂で行われる。(仏教系と神道系とでは、1日ずらして別々に行われる)。

その「事件」が起きたのは、お堂を出発して、1時間位経った9時頃に起きた。
突然、前方で悲鳴が上がる。
群れが乱れる。
突っ走って行く山伏。
おおあわてで戻ってくる山伏。
「蜂だ、蜂だ、スズメ蜂の襲撃だ!」
「痛い!」
「ヤラレタ!」
「気をつけろ!」
山伏の集団は大混乱となる。


その時、私は前方にすさまじい光景を見た。
数十匹のスズメ蜂のカタマリが一人の山伏を集中的に攻撃している。
彼らは猛烈なスピードで、数十メートルを水平に飛び、頭部に集中的に突き刺さる。
「わあっ」あわれな犠牲者は、頭の蜂を必死で払いながら、転げるように逃げまわっている。
怒号が飛び交う。
「刺された奴は、すぐに小便をかけろ!」
「誰か薬持ってないのか!」
(ちなみに、小便をかけても効果はないらしい)
右往左往する山伏。
こういうときに、人間性が露となる。
相撲取りのような大男なのに、意気地のない奴はベソをかいている。
何とこの時、27人もがスズメ蜂に刺されたのである。
(このことが、当日の正午のNHKニュースで報道さ れた)
先達が叫ぶ。「我慢できない奴は、山を下りて、医者に行け」
5.6人が、痛い、痛い、死にそうだと呻きながら、ヨロけるように、山を下りて行く。
乱舞する蜂の前後に、山伏集団が分断される。
この間、50メートルほどの距離に人影はない。
私は後方にいて、無人の林道を見る。
まだ数百匹の蜂たちが、ブンブンブン、渦を巻くように飛びながら戦闘体制をしいている。
この蜂は、大スズメ蜂よりひとまわり小さいが、獰猛 なキイロスズメ蜂であった。
先達の話によると、10分ほど前、川砂を取りに来た ダンプカーが、蜂の巣をひっかけたらしい。
そういえば、われわれの前を走り抜けていったダンプカーに、何十匹もの蜂が群がっていた。
さすがの、蜂たちも、ダンプには歯(というより針)が立たず、たまたま通りかかった、われわれを襲ったのである。(とんだトバッチリ!)

しばしの時が流れる。

その時、この状況を知ってか知らずか、70歳位の老山伏がトコトコ歩いて行こうとする。 危ない!
私はこの老人を止める。
そして、かねて考えていた"理論"を老山伏に説明する。
「蜂はね、人間の気というか、殺気のようなものを無意識に察知して、攻撃してくるから、こちらが緊張しないで、リラックスして歩いて行けば、襲ってこないと思いますよ」
私は、まだ"実践したことのない理論"を無責任に言う。
老人は礼を言って「そんなら、いわれた通りにやってみますわい」
といって、凶暴な連中が手ぐすね引いている、林道を飄々と歩き出した。
 
老山伏が蜂の群れに向かって歩く。
私は固唾を呑んで、見送る。
彼は、ブラリブラリと山菜採りの老人のように歩いて行く。
蜂どもは、相変わらずブンブン旋回している。
老人が、蜂の真っ只中に入る。
蜂は、老人に気が付かないかのように、ただ偵察行動をくり返しているだけ。
彼はついに蜂の群れを抜けた!
何とキイロスズメ蜂は、老人を襲わなかった!
"理論"は証明されたのだ。

今度は、自らが"理論"を実践する番だ。
私は何気なく、蜂の待つ方へ歩いて行く。
「わたしは、あんたらなんかに興味をもっておらんです。何の敵意ももたんからね」
頭上を、黒と黄の縞の連中が乱舞している。
ゆっくり、ゆっくり、あわてたらヤバイ!
連中は飛んで来ては離れ、離れては飛んでくる。
ようやくの思いで蜂の集団を、5.6メートル抜ける。
「助かった!」と思った瞬間、急に恐怖心がおそう。
思わず小走りで駈ける。

その時である。
後方から、キイロスズメ蜂が、いっせいに襲って来た。
ヤラレル!必死で逃げる。
たちまちのうちに、矢のように飛んで来た、蜂の軍団は、私の後頭部をブスブスブスブスと刺しまくった。
(蜂が頭部を狙うのは、月の輪熊によって蜂蜜をとられるので、熊の黒い色に、本能的に反応するのだと思う)
後頭部を7.8ヶ所毒針で刺される。
刺された経験のある人はわかるだろうが、この痛さは単純な痛さではない。"痛、痺れ"というものである。
頭全体が、猛烈に痛くて、しかも痺れているのである。(前に海の中で、ゴンズイを捕まえようとして、刺された痛さに似ている。その時も、1日中、左手が痺れて、車のハンドルが持てなかった)

私は、"理論構築"においては正しかったが、実践では見事に失敗したのである。
(この未熟者めが!)
しかし、われは男の子である。
「このまま死んだっていいや。さっき刺されて山を下りた軟(やわ)な連中とは根性が違う」
その時は、本当に死んでも仕方ないと思った。
人間、どうせ一度は死ぬんだ。
フラつきながら、先頭の山伏集団に追いつく。
何と、大先達(山伏の一番偉い人)も、坊主頭のど真ん中を刺されていた。
しかしさすがである。大先達は何事もなかったように悠然と歩いておられる。
(刺された後の態度で、修行の度合いがわかるが、どんな修行をしたとしても、そんなことは蜂の関知するところではないということもわかった)

われわれ、羽黒山伏一行は、隊列を整え、山を駈け、深い急流の川を渡り、夏草の生い茂る崖をよじ登り、目もくらむような「馬の背」に立ち、午後4時頃、麗に下りた。
待機していたお世話衆が、
「蜂に刺された方は、これから車で病院に行きますので乗って下さい」と案内する。
20数人が、何台かの車に分散して乗る。
一団は庄内の病院に。一団は鶴岡の病院に。
私たち数名は、羽黒町の産婦人科に連れて行かれた。
頭はまだ痛、痺れのままである。
普段は、妊婦さんたちが横たわるベッドで注射を打ってもらう。(何か恥ずかしいナ)
あら不思議。注射一本で嘘みたいに、痛みも痺れも消えて行く。
(こんな時、シミジミお医者さんの有難味がわかります)

その夜、山中の篭り堂に2台の救急車がサイレンの音とともに来る。
蜂に刺された中から、2名の重体者が出て、庄内の病院に搬送される。
だが心配ご無用。彼らは翌日、元気に戻って来た。

羽黒修験道の開祖は「蜂子の王子」という皇子である。
われわれは、開祖の分身に手荒い歓迎をうけたらしい。
羽黒修験は、一度死んでから、山中で新たな命を獲得し、母の産道を通って生まれ変わる秘儀である。
修行の詳細は、きまりにより口外できない。
その秘密を知りたい方は、羽黒を訪れられよ。
「蜂子の王子」がその時、あなたに対し、微笑むのか、怒るのか、それはわからない。