父の島 
書き手:舞 京花

冬のどんよりとした曇り空の下に島が見えてきた。
海は、陰鬱として、鉛色にうねり、その日の瀬戸内に快活さはなかった。
姉と弟と私を乗せたポンポン船は、エンジンをゆるめ船着場にゆらゆらと入って行く。
十年振りに私は島へ帰って来た。
今は亡き父の眠る島へ。


弟が一才、私が二才、姉が六才の時、島の燈台守をしていた父は胃癌で死んだ。
島は今でも無医村である。
その日、容態の急変した父を今治の病院に運ぶ船 の上で父は死んだ。
遺体は荼毘に付され、父は骨壷の中の人となって 三十九年の生涯を送った島に帰って来た。
その夜、私は、星となった父を天窓の上に見つけた。
父は私に語りかけ、私は直感的に死を理解し、涙 ぐみながら父に別れを告げた。


翌年、母は父の思い出を断ち切るようにして、幼 い私たち三人を連れて島を出た。
「大阪へ行こう、大阪へ行けば何とかなるから」
働き手を失った一家は、島では収入の道がなかっ た。
周囲四キロ、戸数六十戸の島の産業は、蜜柑のみであり、私の家は、蜜柑園を持っていない。
若く美しかった母は、狭い島を棄て、人生の再出 発を大都会に賭けた。
母は大阪で看護婦をしながら、懸命に働いた。
言うに言えぬ、母の労苦の積み重ねのうちに島を出てから十年の歳月が流れた。


「今度の正月にお前たち、お父さんの墓参りに行っておいで。」
「ええっ、お母さんは行かないの?」
「私は病院の当番だから・・・・・」
母は何故か、島に帰りたくないようであった。
瀬戸内の小さな島で、父と母は生まれ、育ち、愛 し合い、そして私たち姉弟三人をこの島で生んだ。

島の正月はさびしい。普段でも人の少ない島には、正月の賑わいはない。
蜜柑は収穫済みで、今は取り残された実が、そこここに点在するだけである。
春、夏、秋の瀬戸内が豊饒であればあるほど、 冬の瀬戸内の小島に彩りはない。

父の墓は、断崖の上のわずかばかりの平地にあっ た。
私は息を呑んだ。
そこには、ただ、丸い自然石が一つポツンと置いてあるだけ。
(「何と粗末な!これが本当に父の墓なの?」)
あの時、大きな星となって、私を見つめていた父が、こんなみすぼらしい小さな石の下に居るなん て・・・・・
私は手を合わせながら父に言った。
「お父さん、私がうんと働いて、大きな墓をたてるから、お父さんそれまで待ってて」
お正月のお餅とお酒をお供えした、父の墓前で、私は誓い、祈った。
父のやさしい顔が、父のよく響く声が、父のガッシリした身体つきが、父のぬくもりが、父の潮の匂いが、ここにこうしていれば、鮮明に感じられた。
父が星となった私が二才の時、私は父のすべてを完璧に記憶していた。



正月の五日、朝から氷雨が降り続いた。
私たち姉弟は、親戚の家を出、船着場に向かった。
ポンポン船が規則正しく、蒸気を吐き、白い波をけたてて、波止場を離れた。
航跡の泡立ちが、後ろへ消えるたびに、島が段々と小さくなって行く。
私は、こみ上げてくるものを押さえきれなくなり、 船べりに俯して号泣した。
姉も弟も泣いた。
父の島が離れて行く!
私の父が!
あの小さな石の下にいる父が!
身を切られるような悲しさと父への思慕が熱い感情となって一挙にふき出し、私はいつまでも泣きじゃくり続けた。
氷雨が涙と一緒になって、火照った顔を冷やした。

母が父の墓参りのため、島の土を踏んだのは、頭髪に白いものが混じりはじめた、それからさらに 十数年後のことであった。


父は今でも、あの島にひとり眠っている。

おわり


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