女の病室
書き手:舞 京花

原宿表参道。I病院はその通りに面している。
私が入院した301号室には、既に二人の患者さんがいた。
25歳の景子さんと、54歳になる文江さんである。
景子さんは、重症のバセドー病にかかっていて、 頸部が異常に肥大し、目も大きく飛び出ていた。
彼女が入院してもう一週間以上にもなるが、手術の日取りはきまらず、病院は検査に時間をかけ、慎重にその時期を見計らっているということである。
文江さんは、私の入院した一日前に、甲状腺異常で、首の切開手術をしたが、術後の回復が遅く、退院の日は、まだ大分先になるらしい。
1月9日、私は文江さんと同じ病気で入院した。首の腫瘍を取り除く手術を受けるためにである。
昼の表参道は、若者たちで賑わい、夜は、光の渦の中にI病院は静まり返っていた。


文江さんのところには、毎日ご主人と三人の息子さんが、見舞いに来ていた。
ご主人は、盲人用のタイプライターを製造する会社を経営しておられ、初老の上品な紳士であった。
三人の息子さんの内二人は、溌剌とした青年であり、末っ子は、まだあどけない中学生である。
文江さんのベッドは、家族の深い愛情に包まれており、文江さんは、その中で貴婦人のように優雅であった。

景子さんは、シクシク泣いてばかりいた。
まだ25歳だというのに、肌は黒ずみ、やせこけていた。
それに彼女の好みなのか、パジャマの色 も、度の強いメガネもすべて黒づくめであり、それが一層、印象を暗いものにしていた。
ある日、景子さんのところに、長身の男の人が来て、彼女を廊下に連れ出し、見舞いの花束を渡すとソソクサと帰っていった。

「別居中の夫なの。もう二年にもなるわ」
部屋に戻って来た景子さんは、浮かない顔をしてふさぎ込んでいた。
夫に愛人が出来、家を出たまま、生活費の仕送りも無いということであった。
彼女は、4歳の男の子と、母親を抱え、スーパーマーケットで働いているといった。
彼女は泣きじゃくりながら身の上話をし、私と文江さんに「お二人は幸せね。羨ましいわ」と何度も繰り返した。

文江さんと私は、彼女を慰め、励ました。
「私は新潟から出て来て、洋装店に住み込みで働いていたの。そこで主人と知り合ったのだけど、今は、ああいうふうに彼も年取って落ち着いてくれたけれど、若い頃は大変でね。浮気して家に帰って来ない事なんか何度もあったのよ」と文江さんは打ち明け話をした。
私は私で、学校を出てから、ダンサーやデパートなど何度か転職したの。結婚はしたけれども、娘を出産してすぐ離婚し、今の彼に出会うまで、いろいろ苦労があったのよといい、
「あなたも今は大変だけれど、きっと幸せが巡って来るから自棄になっては駄目よ」と交互に彼女を元気付けた。


次の日、景子さんのお母さんが見舞いにきました。
しばらくして、二人は手を取り合ってすすり泣き始めた。

景子さんの、あまりの深刻な様子に私は放っておけなくなり、どうしたの、何があったのと聞いた。
景子さんは、私に診療費の伝票を見せ、
「病院から一週間分の費用として、37万円の請求書が来たの。一週間でこんなにかかるんだったら、退院まで何百万円もかかってしまうわ。 こんな大金とても払えないわ」
母子は、絶望的に打ちのめされていた。
「そんな馬鹿な、私にそれを見せて」
私は仔細に伝票を調べた。
「何言ってるの。37万円じゃなくて、37,000円じゃないの。一桁間違っているのよ。あなたもそそかっしいわね」
「ええっ―――、 本当? 本当に37,000円でいいの?」

泣き声は笑い声に変わり、301号室は途端にパアッと明るくなった。

私の手術の日が来た!
午後六時手術室に入る。
朝から今日、手術をするからと告げられていましたので、その時にはもう緊張の極に達していた。

このまま、ひょっとして死んでしまうんじゃないか。まだ死にたくない、まだ死にたくない、まだ死にたくない!(ちょっと大袈裟かな)
顔から首にかけて念入りに消毒され、手術台の上で、首を固定され、目隠しされた。
両肩をお医者さんが押え、両腕を看護婦さんが押さえつける。
レーザーメスが首を一文字に切り裂く。
焦げ臭い肉の焼ける匂い。
部分麻酔だから、意識は、はっきりしており、目隠しされていても情景はすべて手にとるように分る。
手術器具のふれあう金属音、剥いだ首の皮と肉の間にお医者さんの手が入って来て、掻きまわす。
私は取り乱し、泣き叫ぶ。
「殺される――!人殺し――!助けて――!」
私は手術中、熱病のようにブルブル震え、本当にお恥ずかしいほど、喚き立てる。
手術は、僅か30分間で終わった。
「先生、手術はうまくいったの?」
私は、恐る恐る、先生に聞く。
「成功、成功、大成功だよ。しかしまあ、こんなに賑やかな患者さんは始めてだよ」
と先生は、呆れたように、しかし良かったねと言って笑った。

部屋に戻ったその夜、彼が来ていて、まだ物を言えない私の手を退室の時間が来るまで、じっと握りつづけてくれた。

深夜、不思議な事が起った。
縫合した首の部分が、何とも気持ち良く暖かくなり、部屋の中が金色の光で満たされる。
黄金色したやわらかな光が、病室を別世界のように包み込んで行く。
天上から降りてくる光の天使のように・・・・・
何かが私を守っていてくれる・・・・・・・・・

あまりの幸せな気分に、思わず微笑みがこぼれ、 私は、やがて深い眠りに落ち入った。

あくる日、私は二人から散々に冷やかされた。
文江さんは、「私もこれからお父さんに手を握ってもらうわ。退院してからもずっとよ」

三日目。手術後の経過は順調で、もう退院の日が来た。
文江さんと景子さんに、名残を惜しみ、お世話になったお礼を言い、荷物をまとめている時に、20歳位の可愛いお嬢さんが入院して来た。

あれから二ヶ月。
桜前線も段々と北上して来た今日この頃。
冬から春へ。
草木が芽生え、花が咲き、若葉が香ぐわしい匂いを放ち、自然の神秘もクライマックスを迎えようとしている。

今日も301号室の女の病室では、どんな会話が交わされているのでしょうか。

原宿表参道。昼は若者たちで賑わい、
夜は光の渦の中にI病院は静まり返っている。

   おわり

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