ラブレターU 奇妙な婚約者または奇妙な下宿人

書き手:舞 京花

「あんた大変、郁男ちゃんが家に来たわよ」
母からの電話である。
「イクオさんて誰だっけ」
「もう忘れてしまったの、あんたの従兄弟(いとこ)じゃないの」
「それで何の用で来たの」
「それが大変、約束通り、あんたをお嫁さんにもらいたいと言って、四国から大阪まで出て来たのよ!」
「何のことか私にはさっぱりわからないわ。そんな約束なんかした覚えはないわ。伯母さんとの間で、そんな話になっていたのじゃないでしょうね」
「よしてよ。大昔ならともかく、今の世で、親たちが、本人の断りもなく婚約させてしまうことなんかあり得ないわよ」
「じゃあ、どういうことなのよ。一体どうしたと言うの」
「私も忘れていたけど、あんたが12才の時、お父さんの墓参りで里帰りした後、郁男ちゃんから手紙が来てたでしょう。あんたが18才になったら、結婚したいので、大阪に迎えに行くって。あんたもあの手紙覚えてるでしょうが」

話はこういういきさつである。
私が中学生で12才の頃、母の故郷である瀬戸内海の小さな島に里帰りした。
里帰りした時に伯母の家で世話になった。
伯母には、郁男という男の子がいたが、伯母には子供が生れなかったので、郁男は養子であった。
そんなわけで、郁男と私は従兄弟の関係になる。
郁男さんは、その時大学の4年生で広島で下宿していたが、正月休みで帰っている時だった。
背が高く、眼の大きい、優しいお兄ちゃんだった。
私は12、彼は22で年は離れていたが、お兄ちゃんとは気が合い、村はずれの海岸に貝を採りにつれて行ってくれたり、釣りを教えてくれたりした。
「村には何にもないから、今日は今治まで行って映画を見に行こうか」と、彼は誘ってくれ、私たちは島の定期船で、今治にわたり、映画を見たり、喫茶店でクリームソーダ―をごちそうになったりした。
楽しい、心が浮き浮きする一日が終り、私たちは最終の定期船で島に帰った。
郁男さんが、何くれと世話をやいてくれ、私によくしてくれるのは嬉しかったが何しろ私は12才の中学生。
今治に一緒に行ったことが男と女のデートだったとも思っていなかったし、ましてやお兄ちゃんに特別の感情を持ったということもない。
だが郁男さんは違っていたらしい。  


 故郷の島から帰って彼から一通の手紙が私の母宛てに来た。
その手紙は、今にして思えばラブレターでもあり、婚約の申込みであったのだ。
その手紙には、次のようなことが書かれてあった。
「舞子さんと楽しい日々を過ごすことができました。そして僕は、すっかり舞子さんが好きになってしまいました。
ズバリ申し上げます。
舞子さんを私のお嫁さんに下さい。
舞子さんは、まだ12才で、私も大学生ですから、今スグにというわけではありません。
舞子さんが18才になった時、私は28才になっています。私もその頃は、ちゃんとした社会人になっていますので、6年後、舞子さんを私のお嫁さんとして、大阪へ迎えに行きます。
私たちは従兄弟同士ですが、お母さんもご存知のとおり、私は養子ですので、血がつながっているわけではありませんから、舞子さんと結婚することに何の差し支えもないはずです。
お母さんには、急な話で申し訳ないと思いますが、僕からの申し出をお話しいただけるようお願いいたします。
舞子さんにもこの手紙を見せていただき、舞子さんに私の真剣な気持ちをお伝え下さい」

このような、従兄弟からの婚約の申し入れが、私の12才の時に手紙で来たのである。
母は、私にその手紙を見せ、
「困ったもんだわね、郁男ちゃんも、すっかりのぼせあがってしまって。こんなガリガリの娘のどこがいいんだろうね。
しかし、何んと返事をしたもんだろうね」
そんなことを言われても、私には何んの現実感もなく、それに12才の娘にとって1年先の話でも長すぎるのに、6年後云々などは、想像を絶する遠い遠い未来の話でしかなかった。
結局彼には、何んの返事も出さなかった。

ところが彼は、突然私の家に来たのである。
里帰りから6年後、私の18才の誕生日に私を迎えに来たのである。










母は電話口でオロオロしている。
母がオロオロしているには、わけがあった。
私はもうその時、好きな人が出来ていて、家を出て彼と一緒に暮らしていた。
彼はミュージシャンでトランペッターだった。

母は、彼に対して嘘をつくわけにもいかず、
「実はねえ、舞子はもう家を出て、音楽をやっている人と暮らしていて、もう、ここにはいないのよ」と彼に言った。
普通の男なら、これで諦めて帰るとこだが、郁男さんは信じられないことを言った。

「おばさん事情はわかりました。けど僕の嫁さんは舞ちゃんと決めているんです。
舞ちゃんの気持ちを聞くまで僕は納得出来ません。
舞ちゃんが、帰ってくるまで、この家で待たせて下さい。
舞ちゃんも一時の気の迷いで、その男と、ミュージシャンと一緒になっているだけで、そんな男とは別れてくれるはずです。
僕はいつまでも、ここで待ち続けます」

母は、心底困ってしまったが、姉の子供だから、そうはいっても、舞子が帰らないことがわかると、すぐに島に帰るとタカをくくっていたから、
「それじゃ、しばらく、大阪見物でもしたら」ということになり、家に泊めることになってしまった。

ところが、しばらくが1週間となり、1ヶ月となり、3ヶ月となり、信じられないことに、郁男さんは半年も私の家に居座ってしまったのである!
(何と彼が我が家を出て行くのは、さらに半年後であった)
母も、さすがにこれは大変と伯母と連絡をとり、伯母も、
「あんた気でも狂ったの、もう何ヶ月になると思っているのよ、いい加減帰って来ないと警察沙汰になるわよ」と脅したり、透かしたりするが、彼は、平気の平左で、何を言っても、
僕は、舞子さんが帰るまで、家に帰りませんの一点張り。
母もすっかり、覚悟を決めたと言うか、諦めたというか、この長期滞在の甥を住まわせることにした。
「何ヶ月いてもいいけど、そのかわり、下宿代とるわよ。初枝姉さんにも毎月あんたの下宿代送るように言っといたからね」
伯母の家は、広い蜜柑園を営んでいるので、裕福で、息子の仕送りに困る家ではないが、この仕送りは何と言う名目になるのかしら。

私はもちろん家に帰らない。
トランペッタ―の彼と暮らしている。
そのうち、彼の収入では、生活が苦しくなり、私も働くことになった。
彼と暮らす前、私はショーダンサーをしていたが、彼と結ばれて私はダンサーをやめていた。
今さら、ダンサーにも戻れない。
そんな時、昔のダンサー仲間が、新地のクラブでホステスをしており、口を聞いてくれて、彼女と同じクラブで働くことになった。
私は若く、ダンスも上手だということで、たちまち、その店のトップクラスのホステスとなった。



彼、郁男さんは、まだ私の実家で私を待ち続けている。
母から、私の現況を逐次聞いていた郁男さんは、こう思ったらしい。
舞子が家に帰ってきたくないのは、男がいると言うこともあるけれど、ホステスという水商売がよっぽど華やかで、楽しいものだから、四国の島なんかに行きたくないのだろう。
それなら自分も、水商売の勉強をしてやろうと思い、突然、バーテンダーになったと言うことだった。
本当に変った人、奇人、変人とは、このお兄ちゃんのような人ね。
そんなこんなで、彼は、私の実家から、夜のネオン街に通勤するようになってしまった。
四国に帰る様子はさらさらない。
ある日、母から連絡が入る。
「あんたね、郁男ちゃんまだ家にいるのよ。まだ、あんたを諦め切れないんだって。
私も、もういい加減疲れて来たから、あんたと一度話し合って、あんたの口から、結婚する気はないとはっきり言ってやってよ」
「そんなこと、今までも言って来てるじゃないの。何度言っても、郁男兄ちゃんは、普通の人じゃないから、何べん断っても同じことじゃないの」
「本人は、あんたに会いたいのよ。何んせ、あんたとは、12才の時会ったきり、それから、6年以上も会ってないのよ。あんたの顔を見たら、納得して、おとなしく島に帰るかも知れないから、
とにかく一度、帰って、郁男と話をつけなさいよ!」
母もヒステリー気味で電話口でわめいた。

母の見幕に恐れをなして、私も
「それでは、近々帰るから」と言ってしまった。
そして、その日が来た。

彼は、私の顔を茫然と見ていた。
何か信じられないという驚きの目で私を見ている。
郁男兄ちゃんと会ったのは私が12才。制服姿の中学生である。
その私がいまでは18才。それに現在は新地のホステス、彼の目は、12才の少女が、あでやかに変身してしまった"女"と向き合っているのである。
茫然とするのも無理はない。
私が「舞子」であることが信じられないらしい。
それはそうだろう、中学の制服姿のイメージの少女が、新地のホステスに変っているのだから。
彼は何も言わないで、ただ私をみつめているだけ。
私は言った。
「郁男兄さんから手紙をもらったのは12才の時よ。返事を出さなかったのは悪かったけど、あれから、6年も7年もたって、まさか、まだ私と結婚したいと思っているなんて、想像もしなかったわ。
郁男兄さんは、返事が無いから、私が結婚を承知したのかと思ったようだけど、無理よ。
12才の私にそんな決心が出来るわけないじゃないの。そう思わない?」
彼は夢から目覚めたように、重い口を開く。
「僕は舞ちゃんと今治に行った時、僕のお嫁さんになるのは、舞ちゃんしかいないと心に決めたんだ。それでおばさんに、舞ちゃんが18才になったときに、結婚したいと手紙に書いたんだ。
確かに返事をもらったわけではないけど、僕としては承知してくれたものとばかり思っていたんだ」
「無理よお兄ちゃん。お兄ちゃんはその時22才の大学生だったけど、私は中学生よ。そんなこと、約束するもしないも、考えることすらできないということがわからないの」
私は非情なようだけど、今の彼とは別れる気が毛頭ないこと。郁男さんは、兄のように思っているだけで、恋愛とか結婚の対象ではないことをはっきり言った。
その夜、私と彼は、二階に上がり、蒲団を並べて寝た。
12才の時も、四国の彼の家で、こうして枕を並べて寝ていた。私には郁男さんはあくまで、私のお兄ちゃんだから、"男"としての警戒心はない。
寝ながら二人して、とりとめもないことを、いろいろおしゃべりした。
彼が強引に迫ってくる気配はない。
私も話し疲れ、安心して眠ってしまった。
夜半、ふと気が付いて目覚め、彼を見ると、彼は、蒲団を顔の上まであげて、泣いていた。・・・・・
私は、後悔した。
あの時、彼の手紙に対して、はっきり断っていたら、彼をこんなに苦しめ、悲しませることはなかったのに。


翌日、私はトランペッタ―の彼のもとに戻る。
郁男兄さんは、まだ、私に未練があるらしい。別れ際にこう言った。
「僕はまだ諦めたわけじゃないよ。舞ちゃんが、戻ってくれるまで、僕はここで待っているからね」
彼は自分の言った通り、
それからさらに半年、私の家で、「下宿」して、私の帰りを待つことになる。
しかし、どのような物語りも、終りが来る時がある。

郁男兄さんが、私の実家を出て、奇妙な婚約者が私の前から姿を消すことになるのは、彼に新しいドラマが始まったからであるらしい。

彼がわが家で私を待っている頃、やはり、四国の郷里の島から、これも母の縁戚につながる24才の娘が私の実家を訪ねて来た。
彼女は、大阪の会社に事務員として採用されたが、会社の寮が満員なので、しばらく私の家に置いてくれないかということだった。
「下宿人」がまた一人増えたということだ。
二人の「下宿人」は、大阪の私の実家で、一つ屋根の下で暮らすことになる。

狭いわが家の中で、二人の間に、どのような変化や関係が生れたのか、私には知る由もない。
彼は、私の家で居候して、1年ばかりたった或る日、四国の家へ帰った。
何でも、故郷で不動産屋さんを始めるらしい。
追っかけるように、もう一人の「下宿人」も、同じ村に帰り、ほどなく二人は結婚したということである。
わが家にやっと平穏が戻る。

それから、30年経つが、郁男さんからは、何の音沙汰もない。

出会い系サイトで、インスタントな恋愛が巾をきかす現代では、もうこのような物語りはあり得ないことと思う。
郁男さんは、思い込みが激しくて、強引で一人よがりであったけれど、このような一途な男性は、日本の国からはいなくなってしまったのではないだろうか。 純情でひたむきな、恋は消え失せて、あるのは殺伐としたストカーの、心が寒くなる話しばかりになってしまったような気がする。
それともまだ・・・・・・・


    (おわり)

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