網走幻想   

風祭 遊(西京建一)

「網走」という地名の由来を、以下より引用する。

「昔、網走をチバシリと呼んだ。チバシリは、"私の見つけた岩"というようにいわれている。
その岩は、人が笠をかぶって立っているように見え、この岩は、神様の化身といわれており、この神様の上から、白い鳥が"チバシリ、チバシリ"と鳴いて飛び舞ったところから、チバシリがいつからか"網走"になったと伝えられる。
(アイヌ伝説集、著者更科源蔵氏、風光社)

今日の網走の海は、ベタ凪である。時は6月であるが、春の海のようにのったり、のったりしている。
冬の網走は、氷と雪に閉ざされ、網走監獄のイメージとともに人を近づけ難いものがある。
しかし、6月の網走は、リゾートアイランドのように、明るく晴れやかである。 網走湿原も草花が咲き始め、湿原の匂い、海の匂いが穏やかな空気に含まれて、漂ってくる。

けれど海がこのように凪であれば困る少女がいた。
海が荒れないと生活に困る少女がいた。
少女は海岸に佇み海を見ている。
「海が暴れてくれれば、ホヤさんや帆立さんが来てくれるのに・・・・・・」
そうなのである。
強風が吹き、海が荒れると、海底が掻き回され、ホヤ貝や帆立貝や海老や蟹が、浜にいっぱい打ち上げられるのである。
打ち上げられたそれら「海産物」に所有権はない。
この時ばかりは、漁師も漁業権も関係ない。
誰でも自由にとれるのである。
近隣、近在の人々がソレとばかり、手網やバケツを持って浜に押しかけるのである。
獲物の中でも最も喜ばれるのは、ホヤ貝と帆立貝である。
潮干狩りどころの騒ぎでない。一家総出で、多い人はバケツに3杯も5杯も持って帰るらしい。
もう、何十日も海は鏡のように静かである。
ホヤも帆立も海底に潜ったまま。

少女は、海が荒れた時、それら海の恵みを入れた背負い篭を背負って3里(12km)離れた山里へ売りに行くのである。

彼女が3才の時、父は出稼ぎで東京に行き、やがて音信不通となった。
母も父を追うように東京へ行った。
仕送りは、しばらく続いたが、やがて途絶えた。
少女は、68才になる祖父と二人で暮らしている。
「お金がないとおじいちゃんの好きな、お酒も買ってやれない」
この国の生活保護制度で、最低限の生活は出来る。
しかし、じっちゃんに酒や、じっちゃんの健康の元である、にんにく玉までは買えない。
海が荒れてくれないと困るのである。
「海の神様、あたしに貝を下さい」
少女は、砂浜を行ったり来たりして、神に願った。
彼女は、泪を目いっぱいためて、何度も何度も神様にお願いした。










 
「その時、不思議なことが起ったの」

30数年後。ここは赤坂のレストラン。アールヌーボゥ風のテーブルスタンドの淡いオレンジ色の光。
往年の少女は、泪を浮かべその日の出来事を語る。

少女は、中学校を出て、東京でウエイトレスをしている時に、見初められて結婚する。
相手は手広く事業を営む実業家の息子で、地中海風レストランの経営者だった。
私は知人の紹介で、いつしかこの店の客となり、貧しかった頃の少女の物語を聞いている。

「どこからともなく白い海鳥がいっぱい飛んで来て、海の上をグルグル舞い始めたの」
「海鳥が群れをなして舞いはじめると、海が泡立ち、大きな波となり、その波がゴオーッと音を立てながら渦巻きのように回り出したのね」
「大蛇のようにうねりはじめた渦の中心から、何かがピュンピュン飛んできて、カシャカシャ、カシャカシャと音を立てて、私の足元に落ちてきたの。よく見ると、それは帆立貝やホヤ貝で、篭に入りきれないくらいあったわ」

少女は、茫然とその光景を見ていた。
やがて白い海鳥は、かき消すようにいなくなり、海はもとの静けさを取り戻す。

時として奇蹟は起きる。それは貧しい者の上に。
切なく求める者の上に。
富める者が神の国に行くには、針の穴をくぐるより難しいと言ったのは、イエスキリストか。

「いらっしゃいませ」
彼女は少女の時代の追憶からレストランの経営者に戻り、上品な老夫婦を出迎えに行く。

その後姿に、網走の海岸に立ちつくす少女の姿が重なる。
その少女の眼前に、夕日を浴び金色に染まった、大きな大きなオホーツクの海がどこまでも広がっていた。










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